ミャンマーの国旗に込められた意味とは? 国旗の由来や変遷についても紹介

生活基本 生活基本 2019年02月28日


ミャンマーの国旗に込められた意味とは? 国旗の由来や変遷についても紹介,生活基本

 

昔から現在までの国旗の変遷

 

政治体制が不安定なミャンマーでは幾度も国旗が変更されてきました。時代により、国の実質的な支配者が何度も交代したため、国旗のデザイン自体が大幅に変更されています。そこで、コンバウン王朝期、英国植民地時代期、日本軍占領期、第二次世界大戦後に分けて国旗の変遷を紹介します。

 

コンバウン王朝期(1752年〜1866年)

出典:Wikipedia

 

コンバウン王朝(別名:アラウンパヤー朝)とは、第二次タウングー王朝衰退後に出来たミャンマー最後の王朝です。王朝は約1世紀にわたり続きました。コンバウン朝の国旗は、白色の背景に緑色の孔雀が描かれたデザインです。緑の孔雀はビルマのシンボルとして扱われており、コンバウン王朝期からビルマ国の時代の国旗には緑の孔雀が用いられています。

 

英国植民地時代期(1824年〜1942年)

出典:Wikipedia

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英緬戦争を発端として、1824年から1942年までイギリスの統治は続きました。1824年から1937年まではイギリス領インド帝国の一州として統治され、その後は分離した植民地となっていました。この時代の国旗にはイギリスの国旗とインドやミャンマーのシンボルが組み合わされた国旗が用いられており、デザインも複数回変更されています。

 

日本軍占領期(1942年〜1943年)

出典:Wikipedia

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1942年から1943年にかけて大日本帝国軍によって統治されていました。1941年に勃発した太平洋戦争を契機に、ビルマ軍との戦いも開戦され、大日本帝国軍がビルマ全土を制圧しました。日本軍が占領している期間、日本国の国旗が使用されていました。また、日本軍の指導により建国されたビルマ国では、現行国旗の原型となるような国旗が使用されていました。

 

戦後の変遷(1945年〜)

出典:Wikipedia

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出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

 

第二次世界大戦後、独立を果たしたミャンマーでは連邦制への移行や軍事政権への転換などにより、国旗が複数回変更されてきました。連邦制時代と軍事政権時代は現行の国旗とは少し離れたデザインとなっています。

 

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